伝灯寺(読み)でんどうじ

日本歴史地名大系 「伝灯寺」の解説

伝灯寺
でんどうじ

[現在地名]金沢市伝灯寺町

現伝灯寺町集落の北に位置。宝亀山(かつては瑞応山とも)と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。開山恭翁運良が延慶元年(一三〇八)創建したと伝える。当寺塔頭禅栖院(伝灯寺二代至庵綱存開基、廃寺)の寺伝によれば、応長元年(一三一一)ともいう(貞享二年寺社由緒書上)。開基檀越は覚円とされるが(「名僧行録」「延宝伝灯録」など)、これとは別に小坂おさか庄領家二条家では良基の創建とし、同家の菩提寺とみなしていた(永正一一年五月七日「二条家御教書」伝灯寺文書など、以下断らない限り同文書)。暦応四年(一三四一)八月一二日運良が没し(名僧行録)、当寺で葬儀が行われた(聖光国師行録)。運良は紀州興国こうこく(現和歌山県由良町)の無本覚心(法燈国師)の法嗣で、加賀国では一時大乗だいじよう寺に住し、瑩山より「一夜碧巌」と椶櫚払子などを託され、また興禅寺(加賀か)・越中興化寺・同兜率寺を開いている(「名僧行録」など)

明応七年(一四九八)七月六日の伝灯寺奉行宗廉証状によれば、同年三月四日越中に亡命中の足利義材(義稙)に当寺使僧禅栖院元慶が放生ほうじよう(現富山県新湊市)で対面し、興国寺と同列位(十刹位)を認められているが、「守光公記」永正一二年(一五一五)五月二日条・同付八日条によれば、将軍復帰後に召返されたため勅願寺となることを申請、小坂庄に隣接する倉月くらつき庄の領主摂津政親の支援もあり、五月二日後柏原天皇綸旨により認められている。なお当寺には年未詳五月二日付広橋守光宛女房奉書・同五月二日付摂津政親宛広橋守光書状・永正一二年五月七日付二条家御教書・同年八月一二日付足利義稙御内書が伝わる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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