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会津屋八右衛門(読み)アイヅヤハチエモン

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「会津屋八右衛門」の解説

会津屋八右衛門 あいづや-はちえもん

1797?-1837* 江戸時代後期の商人
寛政9年?生まれ。会津屋清助の子。石見(いわみ)(島根県)浜田藩黙認のもと,竹島を拠点に密貿易をおこなう。天保(てんぽう)7年幕府に知られ,同年12月23日死罪。40歳? 浜田藩家老岡田頼母(たのも)は切腹,藩主陸奥(むつ)棚倉(福島県)に移封(いほう)された(竹島事件)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の会津屋八右衛門の言及

【竹島】より

…これに対し朝鮮では竹島は自国の領土であると主張し交渉は決裂した。なお1836年(天保7)発覚した浜田藩の竹島事件は,浜田松原浦の廻船問屋会津屋八右衛門が,当時竹島と呼ばれていた鬱陵島を基地としての密貿易であったといわれる。【江面 龍雄】 1881年に朝鮮で独島の呼称ができたといわれ,灯台が置かれ,1906年には鬱陵郡守の報告書に〈本部所属独島〉と記述された。…

【浜田[市]】より

…浜田からの積荷は銑鉄,扱苧(こきそ),半紙,干鰯(ほしか),生蠟(きろう)などの浜田藩特産物で,揚荷は米,塩,砂糖などが主であった。1836年(天保7)密貿易が発覚した竹島事件の中心人物会津屋八右衛門は松原浦の廻船問屋であった。66年(慶応2)長州戦争に敗れ浜田藩は消滅し,石見の政治の中心は邇摩(にま)郡大森に移った。…

※「会津屋八右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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