伊南郷(読み)いなごう

日本歴史地名大系 「伊南郷」の解説

伊南郷
いなごう

伊南(檜枝岐川)流域の現伊南村全域と南郷なんごう村南部に比定される中世の郷。享徳二年(一四五三)三月、蘆名盛詮の重臣松本筑前守らに攻められ、下野日光に逃れた松本典厩は同年八月一二日日光を出て「いなんのかわらた」を頼んで、そこで養生した(塔寺長帳)。伊南郷の地頭河原田氏は、結城七郎朝光二世の孫長広が下野国河原田かわらだ(現栃木市)に住んで河原田氏を称したとか(新編会津風土記)、小山朝政の次男盛光が河原田に住し、奥州合戦の戦功により当郷を賜り移住したとか伝えるが(「藤氏結城族河原田家譜」田島町史)、下野国長沼ながぬま(現栃木県二宮町)本拠とし、長江ながえ庄などを支配する長沼氏の一族で南北朝期には足利方についていた(延元元年四月八日「陸奥国宣案」朴沢文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報