伊佐江庄(読み)いさえのしよう

日本歴史地名大系 「伊佐江庄」の解説

伊佐江庄
いさえのしよう

佐波さば川の河口に近い大字伊佐江付近を荘域とした京都東福とうふく寺領の荘園伊佐江津いさえのつともよばれる。

中世期の佐波川河口は、開作がなされず現在の植松うえまつ・伊佐江の北半部辺りが海岸線であったと思われる。田島たじま女山めやまも海岸近くに浮ぶ島であり、伊佐江付近は佐波川を上下する物資集散地であった。

東福寺は佐波川上流の得地保とくじほ(現佐波郡徳地町付近)に所領を有しており、その倉敷として古くからの東福寺領であったらしい。嘉慶二年(一三八八)五月の官宣旨によれば嘉禎年中(一二三五―三八)に九条道家の荘園は東福寺に寄進されているから、九条家の荘園であった伊佐江庄は嘉禎二年に東福寺が創建された時に得地保の倉敷として寄進されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報