仲里間切(読み)なかざとうまぎり

日本歴史地名大系 「仲里間切」の解説

仲里間切
なかざとうまぎり

久米島東部に位置し、西は具志川ぐしちやー間切。久米仲里くみなかざとう間切とも。東奥武あがりおー島・西奥武いりおー島・久米鳥くみとうい島が付属する。はじめ久米中城くみなかぐしく間切(中城間切)と称した。久米島二間切の一。近世久米方、近代は島尻郡に所属。成化一二年(一四七六)尚円王が没した時、世子尚真は久米中城王子と称しており、世子領であった(「中山世譜」巻六)。尚真王の世子尚清王、孫の尚元王も久米中城王子を称している。尚豊王は万暦四七年(一六一九)中城を領し、その世子尚賢は崇禎年間(一六二八―四四)「久米・中城」を領した。尚賢王の世子尚質は順治二年(一六四五)に、尚質王の世子尚貞は同七年に「中城」を領した。尚貞王の世子尚純は佐敷さしち間切を領して佐敷王子と称していたが、康熙八年(一六六九)に「中城」を領して中城王子を称し、同二八年佐敷から久米中里くみなかざとう転封されている。尚純の世子尚益も同四六年中城と久米中里を領し、中城王子を称している(同書巻八・巻九)。尚質王以降にみえる「中城」は、沖縄島中部の中城間切をさすとされる。世子は首里中城御殿に居住して中城王子を称するようになったため、重複名称を避け、久米中城間切は久米仲里間切と改称したとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報