仁田郷(読み)につたごう

日本歴史地名大系 「仁田郷」の解説

仁田郷
につたごう

来光らいこう川下流域の現仁田一帯に所在した郷。弘長三年(一二六三)六月八日の妙法譲状(大石寺文書)、文永元年(一二六四)九月四日の道意譲状(同文書)に「仁田郡畠村」とみえ、妙法は子息新田重綱に、道意は重綱が死去したため重綱の子新田五郎次郎に所領を譲っている。「畠村」は仁田東方の現畑毛はたけにあたり、「仁田郡」は「仁田郷」と考えられる。当地出身の仁田氏は、治承四年(一一八〇)八月一七日源頼朝とともに挙兵した伊豆国の武士の一人として新田四郎忠常がみえる(「吾妻鏡」同月二〇日条)。建仁三年(一二〇三)九月、北条時政らの二代将軍源頼家の伊豆修禅しゆぜん(現修善寺町)幽閉、新将軍源実朝就任を画策する事件のなかで、四郎忠常・五郎忠正・六郎忠時三兄弟が命を落した(同書同月六日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報