五姓田 義松(読み)ゴセダ ヨシマツ

20世紀日本人名事典 「五姓田 義松」の解説

五姓田 義松
ゴセダ ヨシマツ

明治・大正期の洋画家



生年
安政2年4月28日(1855年)

没年
大正4(1915)年9月4日

出生地
江戸・三田台町

出身地
神奈川県横浜市

旧姓(旧名)
森田

別名
号=照海

学歴〔年〕
工部美術学校〔明治10年〕中退

経歴
初代五姓田芳柳の二男に生まれ、元治元年父とともに横浜に移る。12歳で英国人画家チャールズ・ワーグマンの指導を受ける。明治7年横浜から東京に移り、画塾を開く。8年陸軍士官学校図画教師、9年工部美術学校に入学しフォンタネージに学ぶ。10年第1回内国勧業博覧会に出品、最高賞の風紋賞を受賞。13年フランスに留学し、レオン・ボナに師事。15年パリのサロンに「肖像」が日本人として初めて入選ロンドン、アメリカを経て、22年帰国し、明治美術会創立に参加。23年父とともにアメリカに行き、帰国後健康を害し、以後殆ど制作できなかった。代表作に「清水の富士」「操り人形」「西洋婦人肖像」「明治天皇乗馬金華山」「ナイヤガラ瀑布」「帝国議会開院式」「水師営の会見」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「五姓田 義松」の解説

五姓田 義松 (ごせだ よしまつ)

生年月日:1855年4月28日
明治時代;大正時代の洋画家
1915年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android