二条城跡(読み)にじようじようあと

日本歴史地名大系 「二条城跡」の解説

二条城跡
にじようじようあと

織田信長足利義昭のために建てた将軍邸。

範囲はほぼ現在の烏丸からすま通・新町しんまち通・丸太町まるたまち通・下立売しもたちうり通に囲まれた二町(約二四〇メートル)四方と推定され、堀松ほりまつ町・春日かすが町、五町目ごちようめ町中央以南、養安ようあん町・武衛陣ぶえいじん町・大門だいもん町、東立売ひがしたちうり町中央以南、門跡もんぜき町・今薬屋いまくすりや町、春帯はるおび町中央以東の地にあたる。江戸時代の二条城と区別するため、「旧二条城」ともいわれる。

室町幕府の管領斯波義将の邸宅武衛陣の跡を接収拡張した将軍義輝の邸が永禄八年(一五六五)焼失したので、織田信長は将軍義昭のため焼跡に新第を造営した。工事は永禄一二年二月二日に着手し(日本西教史)フロイスの「日本史」に

だがこの建築の際、きわめて驚くべきことは、彼が信じることができぬほどの短期間にそれを成就したことである。すなわち少なくとも二、三年はかかると思われたものを、彼はほとんどすべてを七十日間で完成した。とある。また通常二万五千人、少ない時でも一万五千人が働き、建築用石材には多数の石像も用いられ、堀は二重になっていて、外堀には三つの広大な入口が設けられたことなどが詳しく記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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