亀貝村(読み)かめがいむら

日本歴史地名大系 「亀貝村」の解説

亀貝村
かめがいむら

[現在地名]新潟市亀貝・坂井東さかいひがし一丁目・坂井さかい一―二丁目・流通センターりゆうつうせんたー

小新こしん村の西、西にし川右岸に立地し、西は新通しんどおり村古新田。正保国絵図では「亀谷村」とあり高四五石余、幕府領。慶安二年(一六四九)村上藩領となる。明暦三年(一六五七)検地帳(坂井直芳氏蔵)では、本田畑高六五石余・見取田畑高三四石余・新田畑高二四〇石余で、堀直寄旧家臣茨曾根いばらそね(現白根市)在住の里見市左衛門の除地が、九畝余認められる。宝永七年(一七一〇)の味方組村々江戸帰り者名付帳(明治大学刑事博物館蔵)では、村上藩四万石騒動に際し、大田おおた(現燕市)三五兵衛の二回目の越訴に随行して、百姓五人が江戸へ出向いている。

亀貝村
かめがいむら

[現在地名]長岡市亀貝町・新保にいぼ二丁目

長岡町の北東郊外平坦地にある。南側を栃尾往来が通る。東は富島とみじま村、北は福島ふくじま村、西は稲葉いなば村、南西永田ながた村、南は小曾根こぞね村に通じる。開発の年代不詳。天正村名考(温古之栞)に「亀井四十一軒」と伝える。日蓮妙音みようおん寺の境内に源義経四勇士の一人亀井六郎の墳墓と伝えるものがあり、一堆の塚上に五輪塔の形ばかりのものが残る。村名は口碑によると、主の陸奥潜行の途次当地に病没したという亀井六郎にちなむという。永禄三年(一五六〇)一〇月吉日の貫屋家兼売券案(来田文書)に「亀井」とある。慶長二年(一五九七)の古志郡稲葉村検地帳写(安禅寺文書)には亀貝村とあり、字すなた・そてふりに蔵王権現領がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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