之口村(読み)ひのくちむら

日本歴史地名大系 「之口村」の解説

之口村
ひのくちむら

[現在地名]八千穂村大字穂積ほづみ 天神てんじん

千曲川の右岸に位置し、佐久甲州脇往還(現県道中込―小海線)南北に通じている。村の東方河岸段丘上に崎田さきだ村、南は崎田村の枝郷穴原あなばらに、北は崎田村と一部上畑かみはた村に接している。西は千曲川を隔てて本間村と上畑村に相対している。

中世は崎田に属していたものと考えられるが、寛永元年(一六二四)松平五郎新知郷村引渡証文(清水貞夫氏蔵)に「二拾八石五斗 崎田新町」とあり、近世初期には崎田新町と称した。また寛永七年検地帳には「佐久郡崎田新町村検地水帳」とあるから、近世初頭に独立村となったものと思われる。延宝七年(一六七九)村名を樋口ひのくち村と改めた(「樋口邨日記」上村久三氏蔵)

集落の南北の入口は枡形を存し、集落内は佐久甲州脇往還を中心に東西に直角の地割をして屋敷地を構成している(「樋口村絵図」上村久三氏蔵)。宝暦七年(一七五七)の宗門御改帳によると、家数二五軒、高一七四石余という小村で、材木・薪・馬草・刈敷などは母村崎田山に頼っていた(小諸領高〆之帳)

元文三年(一七三八)の「乍恐以口上書奉願上候御事」(出浦尚氏蔵)によると、名主役は三人で年番に務めてきたが、小村で、名主役を三人立てて置いては、外百姓が少なくなるから、定名主にしてもらいたい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報