丸都(読み)がんと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「丸都」の意味・わかりやすい解説

丸都
がんと

高句麗(こうくり)中期王都。鴨緑江(おうりょくこう)中流の通溝平野(現、中国の吉林(きつりん/チーリン)省集安(しゅうあん/チーアン))にあたる。ここに築かれた王城である丸都城を高句麗自身は国内城とよんだ。平野部にある国内城とともに、その北方には山城子山城(高句麗史料にいう尉那巌(いながん)城)があり、王都はこれらの平城と山城とで構成されていた。高句麗は紀元前に桓仁(かんじん)、通化(ともに遼寧(りょうねい/リヤオニン)省)方面で興り、3世紀初めに遼東(りょうとう)の公孫氏の介入もあって分裂し、南下した一派がここに新国を建てた。それが第10代山上王(在位197~226)であり、20代長寿王(在位413~491)による平壌遷都までの約200年間、この地を中心に高句麗は飛躍的に発展を遂げた。付近には好太王(こうたいおう)碑や将軍塚など多数の墳墓が残っている。

[李 成 市]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「丸都」の解説

丸都(がんと)
Hwan-to

高句麗の王都。現在の中国吉林省集安県北の山城子(さんじょうし)山城に比定される。3世紀初め今の桓仁(かんじん)方面から遷都,427年平壌(へいじょう)に移るまで,丸都城一帯は高句麗の中心地であった。

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