丸子城跡(読み)まりこじようあと

日本歴史地名大系 「丸子城跡」の解説

丸子城跡
まりこじようあと

[現在地名]静岡市丸子 泉ヶ谷

通称三角みかど(一四〇メートル)を中心に、南北約二〇〇メートルにわたる城跡。南を丸子川、東をいずみ、西を大鈩おおだたらの谷に挟まれた場所に位置し、宇都山うつのやま城・鞠子まりこ城・三角城ともいう。中世山城として遺構がよく残っており、昭和六〇年(一九八五)に文化庁の調査も行われている。現存の遺構は大部分が武田氏によって天正年間(一五七三―九二)に増築されたものであるが、その前の時代の今川氏によるものと判断される部分も残っている。築城年代は明らかではないが、泉ヶ谷に館を構えていた今川氏家臣斎藤安元は先祖から居館をもっており(宇津山記)、斎藤氏が応永年間(一三九四―一四二八)もしくはそれ以前に在城していた可能性が考えられる(静岡県の中世城館跡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「丸子城跡」の解説

丸子城跡

(長野県上田市)
信州の史跡百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報