中立学区(読み)ちゆうりつがつく

日本歴史地名大系 「中立学区」の解説

中立学区
ちゆうりつがつく

およそ北は一条通(旧一条大路)、南は下長者町しもちようじやまち(旧鷹司小路)、東は烏丸からすま(旧烏丸小路)、西は堀川ほりかわ(旧堀川小路)にわたる旧学区。華族邸宅が多いため、華族学区とも称された。

江戸時代は上京の親町組である上古京上一条組・川東二九町組・上中筋組と上中筋組の枝町・上立売親八町組の枝町・下一条組の新シ町と離レ町・禁裏六丁町組に属した。名称は明治二年(一八六九)の上大組一六番組から、上京一七区(明治五年)、上京一七組(同一二年)、上京一三学区(同二五年)を経て、昭和四年(一九二九)中立学区。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報