中田保・中田郷(読み)なかだほ・なかだごう

日本歴史地名大系 「中田保・中田郷」の解説

中田保・中田郷
なかだほ・なかだごう

安倍あべ川の左岸、現JR静岡駅南方の中田一―四丁目、中田本なかだほん町一帯に比定される。中田保は、元弘三年(一三三三)一二月七日の雑訴決断所牒(写、「集古文書」所収伊豆走湯山東明寺文書)で伊豆走湯山(伊豆山神社)東明とうみよう寺衆徒に安堵されたが、一時は兵粮料所となったようで、延文三年(一三五八)一二月二六日の駿河守護今川範氏書下(写、同文書)によって同寺に返付され、難航しつつも、翌年一二月一一日に所領交付がなされた(「吉元打渡状写」同文書)。中田郷は、貞和四年(一三四八)一二月一〇日の足利直義御教書(写、今川家古文章写)によって今川範国に与えられた駿河国衙領のなかに含まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報