中挟村(読み)なかばさみむら

日本歴史地名大系 「中挟村」の解説

中挟村
なかばさみむら

[現在地名]七尾市中挟町

国下こくが村の南西八田はつた村の北西に位置し、垣内上出かみで・下出・ぼんいちがある。正保郷帳に村名がみえ、東隣の八田村と一括して高付される。承応年間(一六五二―五五)の高一七九石(鹿島郡誌)、同二年の役棟一一(「棟役調」同書)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一八六石、免五ツ一歩、小物成は山役九九匁・苦竹役一八匁、鳥役五匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。延宝四年(一六七六)の村高肝煎給米書上(真館文書)では高一八六石余、家数九。天明六年(一七八六)の高一八七石、免五ツ一歩、家数一八(うち頭振一)でうち一四は本村、四は左近場内に所在、人数一二三、馬一一。

中挟村
なかばさみむら

[現在地名]塩尻市大字片丘 中挟

片丘地区の南端集落で、東は筑摩ちくま山地で峰を境に岡谷市、西は川を境に高出たかいで、北は南熊井みなみくまい、南は桟敷さじきに隣接する。熊井郷と塩尻郷東条との狭間はざまの集落でもあった。

延宝三年(一六七五)検地帳では五八石余、寛文一一年(一六七一)宗門改帳(中村家文書)には家数一一、男三五人、女三三人、幕末の安政七年(一八六〇)で一〇七人である。

中挟村
なかばさみむら

[現在地名]大野市中挟・中挟町

清滝きよたき川左岸に位置する農村。東は川を挟んで中保なかほ村、西は中荒井なかあらい村。天文八年(一五三九)一〇月一八日の平泉寺賢聖院々領所々目録(平泉寺文書)に「中夾村真末名」がみえる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では菖蒲池しようぶいけ村に含まれたと思われ、近世初期に同村から分れたと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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