日本歴史地名大系 「中山手里村」の解説 中山手里村なかやまてさとむら 岡山県:久米郡旭町中山手里村[現在地名]旭町里(さと)山手公文南(やまてくもんみなみ)村の西にあたる吉備高原上と、森上(もりあげ)山の峰続きの山地から南の通谷(かいだに)川へ岸谷(きしだに)川の谷筋と、西の旭川へ流れ出る小谷(こたに)川の谷筋からなる。南は通谷村、西は奥山手(おくやまて)村に接する。もと倭文(しとり)庄山手村で、江戸時代初期までに中山手村と奥山手村とに分れ、中山手村は延宝二年(一六七四)中山手里村・同奥村とに分れたという(作陽誌)。慶長一一年(一六〇六)一一月六日の森忠政判物(同書)によれば、可児兵太が中山手村のうちで七〇石などを与えられている。正保郷帳に中山手村とあり、田方五二三石余・畑方四〇七石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では中山手村の改出高一六一石余・開高二九石余。同年の美作国郷村帳では中山手村と中山手奥が別々に記され、中山手村の高六五〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報