中大沢村(読み)なかおおぞうむら

日本歴史地名大系 「中大沢村」の解説

中大沢村
なかおおぞうむら

[現在地名]北区大沢町中大沢おおぞうちようなかおおぞう

大沢川中流域にある有馬ありま郡の村。北は日西原ひさいはら村、西は播磨国美嚢みなぎ奈良井ならい(現吉川町)中世には有馬上津畑こうづはた庄に含まれ、永正一〇年(一五一三)一一月一日の岡氏家友田地寄進状(清水寺文書)に「上津畑庄内中大沢村」とみえ、当村上坂の大夫が買得した田地一反を当村の岡氏家友が播磨国加東郡清水きよみず(現社町)本尊に寄進している。慶長国絵図の高三二六石余。正保郷帳では高四五三石と急増するが、これは慶長七年(一六〇二)から元和六年(一六二〇)領主有馬豊氏の増高分が計上されたためとみられる。天保郷帳ではさらに四八五石余に増加して幕末に至る。領主の変遷市原いちはら村に同じ。村は内部的には早くから南中大沢村と北中大沢村に分れていたようで、延宝期(一六七三―八一)のものと推定される村明細帳(淵上家文書)によると高四五三石のうち、南中大沢村一九二石余・北中大沢村二六〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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