中ノ庄町(読み)なかのしようまち

日本歴史地名大系 「中ノ庄町」の解説

中ノ庄町
なかのしようまち

[現在地名]大津市中庄なかしよう一丁目・御殿浜ごてんはま

紺屋こんや町の南にある。中ノ庄村域に町割が行われた両側町。元禄一五年(一七〇二)の膳所総絵図(中村家蔵)町名がみえ、東海道筋の町並は一二四間余、家数五五。幕末膳所城下図では町の西裏に不動寺(町か)椿原つばきはら町・横椿原よこつばきはら(町か)新地しんちなどの武家地がみえ、新地の西手は桜馬場となっている。街道筋には小間物屋質屋・煮物屋・染物屋などがあり、南端には庄屋堀池茂辰宅がみえる。明和七年(一七七〇)当時藩に鮒を献上するための御用が認可され、魚屋藤兵衛が扱っていた(神田神社文書)。琵琶湖岸沿いのかわらヶ浜は中世瓦工が居住したと伝え、ここに寛文期(一六六一―七三)膳所藩主本多俊次が浜御殿を造営した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報