不土野村(読み)ふどのむら

日本歴史地名大系 「不土野村」の解説

不土野村
ふどのむら

[現在地名]椎葉村不土野 不土野上ふどのかみ坂本さかもと

現椎葉村の南西端に位置し、不土野川の上流域に立地する。西は銚子笠ちようしがさ(一四八八・九メートル)の山嶺を境に肥後国球磨くま郡、東方は赤木の原あかぎのはる(一一六一・一メートル)を隔てて川口かわのくち村。不土野川最上流の川沿いには壮大な石垣に囲まれた庄屋屋敷があり、そのすぐ下を不土野峠を越えて球磨郡へ通じる往還道が通る。近世初頭、那須玄蕃の次男弾正が向山むかいやま城を横領し山中に勢力をもったが、対立する一二人衆によって子の久太郎が討たれたという(椎葉山根元記)。椎葉山騒動後の元和六年(一六二〇)の幕府上使安倍正之・大久保忠成両人の書状(相良家文書)に「ふどの村」とみえ、肥後人吉の相良氏は同村の久助・覚内の子三人を成敗するよう指示されている。寛永四年(一六二七)向山衆覚書(同文書)には椎葉山衆と対立する向山衆の一人として「ふとの新十郎」の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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