下鷹狩村(読み)しもたかがりむら

日本歴史地名大系 「下鷹狩村」の解説

下鷹狩村
しもたかがりむら

[現在地名]用瀬町鷹狩たかがり

鷹狩三ヵ村の一で、「因幡志」に「村の下に赤波谷の流ありて道をよこきりて大川に入る、其渡の橋を馬橋と云、長さ四間・横七尺、側民家あり馬橋村と云ふ、当村の内なり、村の西は智頭川にて此所よりタカセ舟を下す」とある。中世にはこの地域に高狩たかがり別符が成立しており、近世に入って三ヵ村が成立するが、その後も三ヵ村をまとめて鷹狩村ともいった。当村の拝領高は二六七石余。本免五ツ。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高三〇九石、竈数二〇余。「因幡志」では家数二五。産土神六王のほか真言宗大安興だいあんこう寺がある。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳によると生高三〇二石余、竈数二三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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