下魚町(読み)しもうおまち

日本歴史地名大系 「下魚町」の解説

下魚町
しもうおまち

[現在地名]鳥取市片原かたはら五丁目

鹿野口しかのぐち惣門外、鹿野町の北西側、豆腐とうふ町より鹿野往来を挟んで土手筋に向かって延びる町。当町の為登は古名を魚の棚筋うおのたなすじといった。元和五年(一六一九)城下町拡張に伴う町割のとき、町人地四〇町のうち下構二〇町の一町として起立された。町名魚屋がこの地に集住したことに由来し、上構の魚屋の町を上魚町といったのに対し下魚町といった。また町割の当初この地に大きな沢があって蛙の鳴声がかまびすしかったので、かえる町とも称したという。

下魚町
しもうおまち

[現在地名]静岡市常磐町ときわちよう二丁目・西門町にしもんちよう

駿府城下の横筋(横町)第三行の両側町。東は江尻えじり町、西は縦筋(縦町)第七行のてら町四丁目南端。当町中央から北に縦筋第六行の通りが延び、北は常慶じようけい町。当町の南側に浄土宗宝台ほうだい院がある(以上、町方絵図)。町名は慶長年間(一五九六―一六一五)駿府城中御用の魚問屋があったことに由来し、上魚町とともに魚を取りさばき(駿河志料)、古くは塩屋しおや町とも称した(駿河記)。貞享三年(一六八六)の時之鐘鋳直集銭帳(県立中央図書館所蔵文書)によると、家数は丁頭家二・本家三八・借家一四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報