下高井郡(読み)しもたかいぐん

日本歴史地名大系 「下高井郡」の解説

下高井郡
しもたかいぐん

面積:四二二・九六平方キロ
やまうち町・木島平きじまだいら村・野沢温泉のざわおんせん

県の東北部に位置する。旧下高井郡の中央部には、高社こうしや(一三五一・五メートル)が横たわり、岳南・岳北の二地方に分けられる。かつて旧二〇町村が、南の中野市、北の飯山市木島・瑞穂みずほの二地区と下水内しもみのち郡に属するさかえ村が分離して、現在は南に山ノ内町、北に木島平村野沢温泉村の三ヵ村が残り、一郡を形成している。

三ヵ村ともに、東部には広大な深い山岳地を有し、これより流れ下る急流によって扇状地がつくられ、崖錐地と相まって傾斜性の集落をなしている。

南より北にかけては、三沢みさわ(一五〇四・六メートル)かさヶ岳(二〇七五・八メートル)横手よこて(二三〇四・九メートル)赤石あかいし(二一〇八・六メートル)大高おおたか(二〇七九・四メートル)の高い連嶺をもって上高井郡高山たかやま村と群馬県吾妻郡六合くに村に境している。また岳南の山ノ内町は中野市に、岳北の木島平村は飯山市に、北部の野沢温泉村は下水内郡栄村に対している。

山ノ内町は夜間瀬よませ川の源流をなす志賀高原を有し、しぶ(二一七二メートル)によって草津道で群馬県六合村に通じ、小池こいけ峠によって上高井郡高山村に、すげ峠・間山まやま峠・更科さらしな(大坂)はこ山峠をもって中野市に通じている。木島平村はたる川によって飯山市木島地区、その支流によって同瑞穂地区に接し、千曲川の支流赤滝あかたき川・湯沢ゆざわ川は野沢盆地を形成し、野沢峠は栄村との主要道路である。西部は千曲川で下水内郡栄村に対している。

高井郡は、持統天皇(在位六八六―六九七)の藤原宮跡から発掘された木簡墨書銘に「高井郡大黄」「十五斤」とあり、これは典薬寮に納めた薬草に付けた荷札と思われる。また「三代実録」の貞観九年(八六七)三月一一日条に、信濃から大和に越した「高井郡人従八位上物部連善常、改本居云々」とある。「延喜式」民部に信濃一〇郡のうち「高井」、「延喜式」神名帳に「高井郡云々」とあるのを初見とする。

〔原始〕

先土器時代の遺物は山麓地の各所に折々発見される。縄文時代に入ると、山ノ内町では、伊勢宮いせみや本郷ほんごうの中・後期の大遺跡があり、晩期の標式的な佐野さの遺跡、その他上条かみじよう島崎しまさき遺跡などがある。木島平村では、中村観音堂・計見小路けみこうじ遺跡、野沢温泉村では岡之峰おかのみね平林ひらばやし東大滝ひがしおおたき遺跡などがある。弥生時代は比較的少なく、木島平村の宮之島みやのしま三枚原さんまいばら北和栗きたわぐりの有孔石剣出土遺跡がある。

〔古代〕

和名抄」の高井郡郷名には、穂科・小内・稲向・日野(以上高山寺本)、神戸(流布本)がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報