下豊内村(読み)しもとようちむら

日本歴史地名大系 「下豊内村」の解説

下豊内村
しもとようちむら

[現在地名]甲佐町豊内とようち

長楽ちようらく(別名清正公山、一六〇メートル)東南に位置し、東は標高五〇―一〇〇メートルの丘陵地帯が続く。西は岩下いわした町、北は横田よこた村、南東は上豊内村と接する。清正の改修工事前、緑川はこの集落に沿って流れていたと伝える(甲佐町史)。寛永郷帳には「豊内村」とあり、初め豊内手永に、寛文四年(一六六四)以降は甲佐手永に属したが、その後上豊内村・下豊内村に分れた。宝暦一二年(一七六二)の甲佐手永手鑑では竈数二五・男一〇六・女九八、牛四・馬一四、本高三七三石一斗余、田一五町八反九畝余・畑一二町七反六畝、新地田畑六反五畝余、永荒田三反七畝余、諸開(野開・請藪・一毛畝物・上畝物・定米畝物)一町三反二畝余と茶床がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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