下竹仁村(読み)しもだけにむら

日本歴史地名大系 「下竹仁村」の解説

下竹仁村
しもだけにむら

[現在地名]福富町下竹仁

久芳くば村の西に位置し、中南部を東流する沼田ぬた川とその支流が形成する谷々からなる。北部には北東たか山に連なる山地が広がる。

貞和(ママ)年三月日付の児玉家氏申状(「閥閲録」所収児玉三郎右衛門家文書)に「竹仁上下村」とあり、両村の地頭職は家氏重代相伝として足利尊氏から安堵されている。一方、文和四年(一三五五)四月二九日、足利尊氏は小早川貞平に小児五郎入道跡地の下竹仁郷を預けている(同書所収乃美仁左衛門家文書)。その後、下竹仁村地頭職は貞治三年(一三六四)までに武田信武から児玉延行に軍忠の賞として預け置かれ(「譜録」所収児玉主計広高家文書)、同四年二月一日には下竹仁村を含む所領は延行から子持行に譲渡されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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