下津浦村(読み)しもつうらむら

日本歴史地名大系 「下津浦村」の解説

下津浦村
しもつうらむら

[現在地名]有明町下津浦

北東は上津浦こうつうら村、西は小島子こしまご村に接する。かつては入江の村で、上津浦村境の連丘が岬角をなし、干潟帯状に続いていた。有明海に面する権六ごんろく山に箱式石棺の権六古墳がある。

戦国時代、上津浦氏を攻める栖本天草諸氏連合軍によって戦場化され、「八代日記」永禄元年(一五五八)三月一六日条に「上津浦ヨリ棚底ニ動、嶋子ヨリ下津浦ニ動候」とみえる。寛永一四年(一六三七)の天草・島原の乱時には全村民が一揆に加わり、同年一一月一日付の坂崎内膳口上之覚(細川家記)に「上津浦・下津浦筋赤崎と申所之寺其外宮共地やき仕候」とある。松平信綱の家臣長谷川源右衛門の「肥前国有馬高来郡一揆籠城之刻々日記」に本丸鉄砲大将下津浦次右衛門光安の名がみえる。

下津浦村
しもつうらむら

[現在地名]南勢町下津浦

神津佐こんさ川の河口付近にある。北は神津佐村、南は木谷きたに村。西方には七日なのか島が見える。「五鈴遺響」には「下津浦ハ中津浜ニ相対ス名義ナリ」と記される。近世は和歌山藩田丸領。慶安郷帳(明大刑博蔵)では、高四七石七斗余のうち田方三〇石一斗余・畑方九石六斗余。明治二年(一八六九)の大指出帳(徳川林政史蔵)によると戸口は四〇軒・一九〇人。牛九。船二六。鉄砲一。煙草を産する。村域中央部に臨済宗妙心寺派の長光ちようこう寺がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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