下桑原村(読み)しもくわばらむら

日本歴史地名大系 「下桑原村」の解説

下桑原村
しもくわばらむら

[現在地名]諏訪湯の脇ゆのわき・諏訪・おか村・もと町・清水しみず赤羽根あかばね上諏訪 茶臼ちやうす山・立石たていし

諏訪湖の東方にあり、北西大和おわ村、南東は上桑原村に接し、現諏訪市の中心部をなす旧高島たかしま城下及び上諏訪かみすわ宿を含む。

古く「和名抄」にみえる桑原郷の一部をなすと考えられている。承久元年(一二一九)の「諏方十郷日記」(守矢文書)に、「下桑原三十七丁大、十一間半」とみえている。中世には上社の内県介の役を度々務め、天文一二年(一五四三)七月の上社権祝あての板垣信方安堵状には「下桑原之内、御射山神田、如前々年貢請取、御祭礼可被相勤者也」とあり、天正二年(一五七四)一月の武田勝頼朱印状案(河西文書)では「上諏方御頭役之事、郷中貴賤相談、如旧規可令勤仕、若難渋之族者、可被処罪科之趣、被仰出者也」と命じられている。

下桑原村
しもくわはらむら

[現在地名]富山市下新本町しもしんほんまち

神通川右岸、赤江あかえ川の西側に隣接し、富山藩領。北は奥田中島おくだなかじま村、西は野地を挟んで岩瀬いわせ街道、その西は奥田下新おくだしもしん村。村名は桑原の新開に由来するという。寛文七年(一六六七)から天和元年(一六八一)までに新開され、高四〇石余(元禄一一年「古田新田高村付改帳」前田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報