下大町村(読み)しもおおまちむら

日本歴史地名大系 「下大町村」の解説

下大町村
しもおおまちむら

[現在地名]大町町大字大町

現大町町の南部に位置し、六角ろつかく川の北岸にあり、田園地帯である。

建武二年(一三三五)八月三日の長島庄下村本物返田畠注文(橘中村家文書)に「大町田」とある。慶長絵図に「大町」とあり、正保絵図に「下大町村」とある。この地域は平安時代後期は蓮華王れんげおう院領、鎌倉時代には大町庄となり、宇佐うさ八幡宮の社領。室町時代には橘薩摩氏の一族牛島氏の所領となった。同時代の末に竜造寺領となり、江戸時代の初め多久竜造寺氏が佐賀本藩に上地して佐賀藩領となる。

下大町村
しもおおまちむら

[現在地名]津名町大町下おおまちしも

志筑畑しづきはた村の西にあり、北東は小高い峠を越え竹谷たけだに(現一宮町)へ通じる。正保国絵図に村名がみえ、高二七六石余。天保郷帳では高四一五石余。王子組に属し、反別戸数取調書では反別三九町八反余、高六八二石余、うち蔵入高四七九石余、二三九石余が家老池田登の給知。「味地草」の家数八三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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