下増田村(読み)しもますだむら

日本歴史地名大系 「下増田村」の解説

下増田村
しもますだむら

[現在地名]名取市下増田

旧名取川の自然堤防上にあり、東は海に面する。増田川(青熊川)が村央を東流してひろ浦に入り、海沿いを北流する木曳堀(貞山堀)も広浦へ通じる。北西から南に浜海道が通る。北は下余田しもよでん村・小塚原こづかはら村、南は下野郷しものごう(現岩沼市)と接する。中世は増田村とともに増田郷とよばれ至徳三年(一三八六)一二月二日の石橋棟義預ケ状(相馬文書)にみえる「増田郷内下村」が当村域にあたるか。南東端北釜きたかま集落は、天文一三年(一五四四)四月二一日の伊達稙宗領知充置状(伊達家文書)に「中野常陸介かゝへ候きたかまの浜壱ケ所」とみえ、訴えの結果福田玄番允に与えられている。

下増田村
しもますだむら

[現在地名]前橋市下増田町

勢多せた郡南端にあり、北は上増田村、東は荒砥あらと川で二之宮にのみや村、また佐位さい安堀あんぼり(現伊勢崎市)に、南は広瀬ひろせ川で那波なは宮子みやこ(現同上)、西は同じく広瀬川駒形こまがた新田に接する。もと上増田村と一村で、寛文郷帳に増田村とあり、延宝年間(一六七三―八一)上下に分村したという(郡村誌)元禄郷帳の高七四六石六斗は上増田村とまったく同じである。

下増田村
しもますだむら

[現在地名]松井田町下増田

細野ほその丘陵先端部分を占め、国衙こくが村の北にある。増田川の形成した河岸台地の両岸に展開する。天正一二年(一五八四)一一月八日付の北条家朱印状(小板橋文書)で山口軍八郎に与えられた闕所地の一つに「松井田(カ)田之内」一貫七〇〇文があげられる。碓氷郡に属し、「寛文朱印留」に村名がみえ、安中藩領。寛文郷帳では田方二四〇石余・畑方一八五石余。

下増田村
しもますだむら

[現在地名]熊谷市下増田

幡羅はらおし領に所属(風土記稿)。利根川右岸の自然堤防背後の沖積地に位置し、南は西別府にしべつぷ村、北は丈方じようぼう(福川)を境にいちつぼ(現妻沼町)。かつては西別府村のうちに含まれていたが、延宝六年(一六七八)検地が行われ、元禄(一六八八―一七〇四)以前に分村したという(同書)。元禄郷帳・国立史料館本元禄郷帳に村名がみえ高六八二石余、旗本岡部・横田大岡の三家の相給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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