下勝村(読み)しもすぐれむら

日本歴史地名大系 「下勝村」の解説

下勝村
しもすぐれむら

[現在地名]喜多方市関柴町せきしばまち西勝さいかち

堂畑どうばたけ村の北にあり、北東西中明にしなかみよう村、北は上勝村。熊倉組に属した。本村北方五輪原ごりんはら清水尻しみずじりの端村がある。また村の西に往時大原伊賀守某が住んだという館跡がある(新編会津風土記)。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に下勝とみえ、高四一四石余。貞享二年(一六八五)の「熊倉組地下諸事作法改帳」によると、当村は雄国おぐに山麓小沼おぬま村・高柳たかやなぎ村の山に入っており、小沼村へは銀二匁九分七厘、高柳村へは銀二匁二分八厘の山役を毎年支払っていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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