上竹仁村(読み)かみだけにむら

日本歴史地名大系 「上竹仁村」の解説

上竹仁村
かみだけにむら

[現在地名]福富町上竹仁

下竹仁村の西、安芸国豊田郡の北西端に位置し、沼田ぬた川水源地帯を形成する谷間の村。北は高田郡保垣ほがき有留ありどめの両村(現向原町)、西から南は賀茂郡志和堀しわほり造賀ぞうかの両村(現東広島市)に接する。

地名は嘉禎四年(一二三八)四月一七日の伊都岐島社廻廊員数注進状案(新出厳島文書)に「上竹仁一間」とみえる。「豊田郡誌」は延元元年(一三三六)六月に安芸国府中ふちゆう石井いしい(跡地は現安芸郡府中町)城主石井信高が竹仁村地頭職を安堵されたと記すが典拠は不明。貞和(ママ)年三月日付の児玉家氏申状(「閥閲録」所収児玉三郎右衛門家文書)に、北朝方として参戦した家氏は「竹仁上下村」の地頭職を重代相伝として足利尊氏から安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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