上石津村(読み)かみいしづむら

日本歴史地名大系 「上石津村」の解説

上石津村
かみいしづむら

[現在地名]堺市石津いしづ町一―三丁・石津北いしづきた町・あさひおかきた町一―五丁・なか町一―四丁・みなみ町一―四丁〉・みどりおか〈北町一―四丁・中町一―四丁・南町一―四丁〉・南陵なんりよう町一―四丁・石津いしづおかかすみおか町一―四丁・高砂たかさご町一―四丁・老松おいまつ町二―三丁など

舳松へのまつ村の南に位置する。村の西、下石津村境を熊野(小栗)街道が通り、村の東端部にはミサンザイ古墳がある。大鳥郡に属する。中世石津庄に含まれる。上石津の地名は長禄二年(一四五八)二月九日の恒吉麹室料頭職宛行状(河野家所蔵文書)に「上石津市庭也」とみえ当地に市が開かれていたことが知られる。

慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図では当村および下石津村が「石津村」で高付され高二千二九一石余。その後しばらく一村で扱われるが、慶安四年(一六五一)和泉国郷村高辻帳で上下に分れ、当村の高は一千二五九石余となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報