上相原村(読み)かみあいはらむら

日本歴史地名大系 「上相原村」の解説

上相原村
かみあいはらむら

[現在地名]相模原市元橋本もとはしもと町・相原あいはら二本松にほんまつ一―四丁目・西橋本にしはしもと三―五丁目

北はさかい川を隔てて武蔵国多摩たま郡相原村(現東京都町田市)と対し、東は橋本村、南は下九沢しもくざわ村、西は津久井つくい下川尻しもかわしり(現津久井郡城山町)に接する。東南で相模野に連なる。建保元年(一二一三)五月の和田合戦で討死した横山党の粟飯原太郎・小次郎・藤五郎(吾妻鏡)ら一族が住んでいたと伝えられる。小田原衆所領役帳に油井領五〇貫文のうちに「東郡粟飯原四ケ村」とある。寛政一三年(一八〇一)検地控帳(相模原市史五)によれば、文禄三年(一五九四)の検地で高座たかくら川を国境として境川と改めた際武蔵の相原村と分離し上相原村と称したという。正保国絵図は「相原」と記す。「風土記稿」によれば正保三年(一六四六)に上相原村・橋本村・小山おやま村・下九沢村に分村したという。

上相原村
かみあいはらむら

[現在地名]町田市相原町

相原村が上中下三村に分立して成立した村で、中相原村の西にある。地元では当村を大戸おおど村とも称した。寛文七年(一六六七)の検地高二三〇石余(「検地帳」松井家文書)。延宝四年(一六七六)の村明細帳(渋谷家文書)では高二三〇石余、田一三町六反余・畑三四町六反余、家数九四、寺一・社八・堂二、大名大通行の際には八王子町への大助郷役を負担した。元禄郷帳では高二三〇石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳では旗本久松領二三〇石余。以後幕末まで同領と考えられる。「風土記稿」では民家三〇、小名は段木だんぎ牛田谷うしだや滝ノ前たきのまえ高良谷こうらや内坪うちつぼ春日谷かすがや子ノ神谷ねのかみやと秦良谷はだらや鍛冶屋村かじやむら柿木谷かきのきやと六本松ろつぼんまつ湯ノ入ゆのいり屋敷谷やしきやとなど。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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