上田井村(読み)こうだいむら

日本歴史地名大系 「上田井村」の解説

上田井村
こうだいむら

[現在地名]粉河町上田井

南志野みなみしの村の南、紀ノ川北岸に村域の大部分があり、村内を東西に大和街道が通る。その街道側に集落がある。村内を小田井おだい用水藤崎井ふじさきい用水が西流する。東は別所べつしよしまの両村、南は紀ノ川を挟んで遠方おちかた村、西は黒土くろつち(現打田町)に接する。「続風土記」は「田中荘の上にあるを以て上田井の名あり、井は堰の義なり、紀ノ川を越えて南に当村領あり、向島といふ」と記している。江戸時代は和歌山藩領で伊都いと郡代官所の管下。慶長検地高目録によれば村高八五六石余、小物成一斗一升四合。「続風土記」では高一千七二石余、家数一二一、人数五五四。粉河組に属した。

中世末期から近世初頭にかけて紀ノ川を渡って遠方村・杉原すいばら村の河辺に出作がなされたが、「続風土記」に記す向島もそれであろう。

上田井村
かみたいむら

[現在地名]高松市由良町ゆらちよう

下田井村・六条ろくじよう村の南に位置し、春日かすが川支流ふる川の東岸から春日川東岸中流域を含む平野部に立地。村の中央に独立丘陵由良山(一二〇・九メートル)がある。同山から石鏃が出土、山麓清水しみず神社付近には古墳がある。戦国時代、由良山上に由良氏の拠った由良山城があった。「全讃史」によれば三谷みたに王佐山おうさやま城主三谷景久の弟兼光が由良を領し、由良伊豆守と称した。その子遠江守景広の代、永正五年(一五〇八)香西元定が来攻、三谷伊豆守の救援を受けたが落城したという。山上は平坦で、西端に小祠を祀る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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