上浄法寺村(読み)かみじようほうじむら

日本歴史地名大系 「上浄法寺村」の解説

上浄法寺村
かみじようほうじむら

[現在地名]永平寺町上浄法寺

浄法寺山南西麓に位置し、西は下浄法寺村、南西は九頭竜くずりゆう川を挟んで光明寺こうみようじ村。浄法寺村が正保郷帳以降、上下に分村。慶長三年(一五九八)七月一五日付越前国浄法寺村御検地帳(中浄法寺区有文書)があり、記載石高は正保郷帳にみえる上浄法寺分と一致する。同検地帳によれば、分米二四八・六三四石、田畠一九町五反余。正保郷帳では田方一四九石余・畠方九八石余。枝村に殿との山口やまぐちがあった(越前国名蹟考)。正保二年(一六四五)福井藩領から松岡藩領となり、享保六年(一七二一)再び福井藩領。

安永二年(一七七三)の福井藩金津領村鏡(高橋家文書)によると、石高は前記検地帳と同じで、うち五〇石は給人渡、田方六町五反余・畑方七町三反余・山畑八畝余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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