上永野村(読み)かみながのむら

日本歴史地名大系 「上永野村」の解説

上永野村
かみながのむら

[現在地名]粟野町上永野

永野川の上流一帯を占め、下流は下永野村、東は山を挟み中粕尾なかかすお村、西は不動ふどう(六六四・五メートル)を挟み秋山あきやま(現安蘇郡葛生町)。上流から与州よしゆう山口やまぐち中坪なかつぼ沢坪さわつぼなどの集落が点在する。安蘇あそ郡に属し、慶安郷帳に村名がみえ、田一九石余・畑一千一二一石余・浮役四九八石余。領主変遷は中粕尾村と同様とみられる。元禄一二年(一六九九)の郷鑑(金子俊夫文書)によれば反別一二八町六反余、うち田五反余で、四町七反余が川欠けになっている。年貢は山銭九貫文・役漆永四貫文余・年貢漆永一一貫余などを納め、家数一七七・人数一千三二一、馬一〇四・牛四。

上永野村
かみながのむら

[現在地名]菊鹿町上永野

木野きの川の上流に位置し、北は山鹿やまが五郎丸ごろうまる村・上内田かみうちだ村、西は同郡下永野村、東は菊池郡虎口こく村・小楠野おぐすの(現菊池市)、南は同郡阿佐古あさご村と接する。中世には菊池氏三家老の一家である隈部氏の根拠地であった。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によれば、田二五町八反四畝余・畑一五町八反二畝余・分米三五三石七斗余。近世山鹿郡中村手永に属した。寛永一四年(一六三七)の人畜帳(光厳寺文書)では高五〇八石一斗余、うち田高三三八石七斗余・畑高一六九石四斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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