上御霊神社(読み)かみごりようじんじや

日本歴史地名大系 「上御霊神社」の解説

上御霊神社
かみごりようじんじや

[現在地名]上京区上御霊竪町

鞍馬口くらまぐち通の南、寺町てらまち通の西方鎮座。境内南に上御霊前かみごりようまえ通が通る。祭神八所御霊。旧府社。法人名は御霊神社。出雲氏の氏寺として平安遷都以前から当地にあったと伝えられる出雲いずも(上出雲寺)鎮守とされる。出雲寺流記(山城名勝志)によれば、平安遷都の折、大和国宇智うち郡より遷座したとされる。同郡には御霊神社が多く祀られているが、その本宮とされる現奈良県五條市霊安寺りようあんじ町の御霊神社は、桓武天皇の勅願により創祀されたと伝え、光仁天皇皇后井上内親王の霊を弔うために建立されたという霊安寺が神宮寺であった。一方、「神祇正宗」は天慶二年(九三九)勧請とし、「扶桑京華志」も「天慶二年奉京極出雲路、而称御霊乃道祖神也」という別説を記す。

いわゆる御霊とは、政争に巻込まれ、非業の死を遂げた人の霊のことであるが、当時はしばしば悪疫が流行したので、御霊の祟りと考えてそれを祀った。「三代実録」貞観五年(八六三)五月二〇日条に「於神泉御霊会(中略)、所謂御霊者、崇道天皇、伊予親王、藤原夫人(吉子)、及観察(仲成カ)使、橘逸勢、文室宮田麻呂等是也、並坐事被誅、冤魂成、近代以来、疫病繁発、死亡甚衆、天下以為、此災、御霊之所生也」とあり、神泉しんせん(現京都市中京区)において御霊会が行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上御霊神社の言及

【御霊会】より

…このため政権の座にあった藤原氏が中心となり,京中の民が参加して御霊会を営み,社会不安を一掃しようとした。この御霊会はおもに疫病の流行にともなって,平安時代の初期に成立し,京都市上京区の上御霊神社,京都市中京区の下御霊神社をはじめ,菅原道真をまつる北野神社(北野天満宮)の御霊会や八坂神社の祇園御霊会(祇園祭)など,都を中心にさまざまの御霊会が始められ隆盛をみた。これらの祭礼は神輿渡御などの行列や芸能があり,風流(ふりゆう)とよばれる仮装踊が行われることが多く,その時期も,疫病が流行する旧暦5月から8月の間が最も多い。…

【早良親王】より

…のち御霊会でもまつられたが,この思想は中世以降にもうけつがれた。上御霊神社(京都市上京区)は八所御霊をまつっているが,早良親王も含まれている。【佐藤 宗諄】。…

※「上御霊神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」