上平沢村(読み)かみひらさわむら

日本歴史地名大系 「上平沢村」の解説

上平沢村
かみひらさわむら

[現在地名]紫波町上平沢

滝名たきな川中流域の東西に広がる沖積地に位置。南は稲藤いなふじ村、東は平沢村、西は土館つちだて村、北は鱒沢ますざわ村・宮手みやで村。もとは平沢村と一村であったが、寛文四年(一六六四)八戸藩成立に伴い同村の一部が八戸藩領となり、上平沢村として成立した。郷帳類には平沢村とみえることが多い。慶長一二年(一六〇七)の南部利直知行宛行状(志和八幡宮文書)に「志和郡上平沢」とみえ、当村にある八幡宮(現志和八幡宮)に三七石余が寄進されている。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳には平沢村とみえ、高一千三四二石余、うち田方一千二五九石余・畑方八三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報