上富村(読み)かみとめむら

日本歴史地名大系 「上富村」の解説

上富村
かみとめむら

[現在地名]三芳町上富

北永井きたながい村の西の台地上に立地。もと入会秣場であった武蔵野原野を、野火止のびどめ新田の成功を受け、元禄七年(一六九四)川越藩主柳沢保明が家臣曾根権太夫らに命じて開発、近村農民入植させ、同九年に検地を行い、上富、中富なかとみ下富しもとみ(現所沢市)の三ヵ村(三富新田)を立村、入植者の精神的拠所として上富に多福たふく寺、中富毘沙門天びしやもんてん社を創建した。道路を碁盤の目のように造り、それに面して住居、その奥に畑地が短冊形に区画され、一軒分の所持面積は五町であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報