上中村・下中村(読み)かみなかむら・しもなかむら

日本歴史地名大系 「上中村・下中村」の解説

上中村・下中村
かみなかむら・しもなかむら

[現在地名]五條市中之なかの

寿命じゆみよう川流域、かみノ村と釜窪かまのくぼ村の間に位置。慶長郷帳・元和郷帳では一村の中村で、村高四七三・二九石。慶長期(一五九六―一六一五)領主は旗本青山石見。慶長二〇年青山石見が大坂夏の陣の際、大坂方に内通したのが露顕して絶家、幕府領(代官中坊左近)となり、元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領。寛永郷帳では村高を分け、上中ノ村(二四四・六三八石)、下中ノ村(二二八・六五二石)とみえるが、寛文四年(一六六四)の「寛文朱印留」では依然中村一村として取扱われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報