三谷等哲(読み)みたに・とうてつ

朝日日本歴史人物事典 「三谷等哲」の解説

三谷等哲

没年:寛永7.5.23(1630.7.3)
生年:生年不詳
江戸初期の画家。広島藩主福島正則家臣の三谷七郎左衛門隆経の子。父と同じく正則に仕えたが,主家の蟄居転封で浪人となり,一子等悦を連れて久留米藩(福岡県)に赴いたと伝えられる。画事を雲谷等屋に学んだと推測され,雪舟流,雲谷流の絵をよくした。

(川本桂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三谷等哲」の解説

三谷等哲 みたに-とうてつ

?-1630 江戸時代前期の画家。
安芸(あき)広島藩主福島正則(まさのり)の家臣。雲谷派の絵をまなぶ。主家の改易(かいえき)により浪人,子の等悦をともなって筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)に移住した。寛永7年5月23日死去。

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