三次(市)(読み)みよし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三次(市)」の意味・わかりやすい解説

三次(市)
みよし

広島県北部、三次盆地の大半を占める市。北は島根県と接する。1954年(昭和29)双三(ふたみ)郡三次、十日市(とおかいち)の2町と河内(こうち)、粟屋(あわや)、酒河(さけかわ)、神杉(かみすぎ)、和田、田幸(たこう)の6村が合併して市制施行。1956年川地(かわち)村、1958年川西(かわにし)村を編入した。2004年(平成16)、甲奴(こうぬ)郡の甲奴町双三郡吉舎町(きさちょう)、三良坂町(みらさかちょう)、三和町(みわちょう)、君田村(きみたそん)、布野村(ふのそん)、作木村(さくぎそん)と合併。JR芸備(げいび)線、福塩(ふくえん)線、国道54号、183号、184号、375号のほか、中国自動車道が通じており、三次、三次東の2インターチェンジがあり、三次東ジャンクションは同自動車道、尾道自動車道、松江自動車道のジャンクション。インターチェンジがある。三次駅を終点とするJR三江(さんこう)線が通じていたが、2018年に廃線となった。

 中心の三次はかつては五日市(いつかいち)ともいい、1580年(天正8)三吉(みよし)氏が拠点とした地。江戸時代は広島藩の支藩三次藩城下町であったが、1720年(享保5)広島本藩に還付された。江の川(ごうのかわ)水系の馬洗(ばせん)川、西城(さいじょう)川、可愛(えの)川が巴(ともえ)状に合流し、旧三次町と十日市町は巴橋を挟んでいわゆる双子町をなし、河港として栄えてきた。現在は県の出先機関などがあり、県北部の中心をなし、電気機器、機械、バイオテクノロジーなどの工業が進出している。農業は稲作、野菜・果樹栽培、畜産などが行われるが、就業人口は減少し、兼業化が進んでいる。国指定史跡に浄楽寺・七ツ塚古墳群(史跡公園県立みよし風土記の丘)、花園(はなぞの)遺跡、矢谷(やたに)古墳、寺町廃寺跡、陣山(じんやま)墳墓群がある。国の重要文化財に指定されている旧真野家住宅(世羅町から移築)、奥家住宅、旧旙山(はたやま)家住宅はいずれも江戸時代中期の農家建築。郷土玩具(がんぐ)で知られる三次土人形は江戸初期に始まる。江の川の鵜飼(うかい)も有名。面積778.18平方キロメートル、人口5万0681(2020)。

[北川建次]

『『三次市史』全4巻(2003~2004・三次市)』


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