三条天皇陵(読み)さんじようてんのうりよう

日本歴史地名大系 「三条天皇陵」の解説

三条天皇陵
さんじようてんのうりよう

[現在地名]北区金閣寺町

金閣きんかく寺東北にある三条天皇陵。円墳、南面する。三条天皇北山きたやま陵ともいう。

三条天皇は冷泉天皇の第二皇子(母は藤原超子)で、寛弘八年(一〇一一)即位。左大臣道長の権勢に圧迫され、加えて眼病に悩まされて在位六年で譲位、四ヵ月後の寛仁元年(一〇一七)五月、四二歳で三条さんじよう(跡地現中京区)に没した。「御堂関白記(寛仁元年五月一二日条)によれば、一条天皇と同じ石陰いわかげで火葬後「寺後山」、すなわち「舟岳東北方」が陵所と定められた。また「帝王編年記」(同月一二日条)には、「葬船岡西辺、奉埋御骨於北山小寺中」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報