三井合名会社(読み)みついごうめいかいしゃ

山川 日本史小辞典 改訂新版 「三井合名会社」の解説

三井合名会社
みついごうめいかいしゃ

三井財閥本社。1909年(明治42)三井同族の共有財産を保有する法人として設立され,三井銀行三井物産の全株式と王子製紙・芝浦製作所など傍系会社の株式や不動産を保有し,傘下会社を統轄した。出資者は三井11家に限定された。11年現業部門として残っていた鉱山部門を三井鉱山として独立させた。その後直系会社として三井信託・三井生命を設立したが,多角的拡大の投資は三井物産・三井鉱山が担った。日中戦争勃発後,傘下会社の資本金払込みの増加や相続税など諸納税に対応するため,40年(昭和15)三井物産に合併され,42年株式を公開した。44年商事部門を三井物産として再び独立させ,株式会社三井本社と改称した。46年9月財閥解体により解散

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三井合名会社の言及

【紅茶】より

… ところが日清戦争で日本が台湾を領有するや,台湾において新しく茶樹栽培,紅茶生産の試みが始まった。すなわち1899年三井合名会社は台北の海山,桃園の大渓などで大規模な茶園を開拓して製茶事業を開始するとともに,台湾総督府も1903年茶樹栽培試験所を平鎮に設立,それが22年中央研究所平鎮茶業試験支所となって以来,紅茶の生産研究に従事していた。三井が本格的に紅茶製造を開始したのはようやく24年のことで,26年には〈三井紅茶〉(のちに〈日東紅茶〉と改名)の商標で初めて缶詰紅茶を内地で発売した。…

【三井家】より

…そのはじめは1710年(宝永7)京都に設置された大元方(おおもとかた)で,家政と事業を統轄した。維新後は東京へ移り(各家住居も移転)一時機能弱化の時期を経たのち,1893年三井家同族会と改め,さらに1909年三井合名会社(持株会社)の設立と三井家同族会の改組によって,事業統轄と家政統轄とが組織として分離された。事業統轄は40年に三井合名から三井物産(株),44年株式会社三井本社へと引き継がれ,第2次大戦後の財閥解体で46年三井本社と三井家同族会の解散に至る。…

【三井財閥】より

…同時に政商時代と変わって,三井家は男爵を授かり華族に列し,また財閥に特恵的な各種の政府助成や日銀金融などのように日本資本主義の確立過程で構築された国家と財閥との機構的構造的相互連係が深められたことも財閥化の特徴である。 1909年日露戦争後の一層の事業発展に応じた改組が進み,三井11家を出資者とする持株会社三井合名会社(資本金5000万円)が設立され,本部統轄機関も事業(三井合名)と家政(同族会)とに分離された。三井合名社長には三井家同族会議長の三井高棟(たかみね)が就任し,顧問益田孝,参事団琢磨らが首脳として傘下事業の統轄に当たった。…

※「三井合名会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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