七美郡(読み)しつみぐん

日本歴史地名大系 「七美郡」の解説

七美郡
しつみぐん

和名抄」にみえ、同書東急本国郡部では「志豆美」、同郡郷部では「之都美」、同書名博本ではシチミ、「拾芥抄」「延喜式」ではシツミと訓じる。但馬国の北西部を占め、北東は美含みくみ郡、東は気多けた郡、南は養父やぶ郡、南西は因幡国八上やかみ郡、北西は二方ふたかた郡と接していた。郡域はほぼ現在の美方みかた郡美方町、村岡むらおか(柤岡地区を除く)養父郡関宮せきのみや町の西部熊次くまつぎ地区に相当する。南部は赤倉あかくら山・ひようノ山・妙見みようけん山など中国山地に属する山々が連なり、赤倉山から北に延びて鉢伏はちぶせ山・瀞川とろかわ山と続く支脈が郡域を東西に分断する。西側(美方町域)は日本海に注ぐ矢田やだ(小代川)の本流域、東側(村岡町域)は支流湯舟ゆぶね川の流域で、熊次地区は円山まるやま川支流八木やぎ川の最上流域にあたる。ほとんどが山地で平地に乏しい。

〔古代〕

天平勝宝―天平宝字(七四九―七六五)頃の平城宮跡出土木簡に「但馬国七美郡射添(郷カ)」とあるのが郡名の初出。管郷は「和名抄」東急本によると兎束うつか(菟束)・七美・小代おしろ射添いそう駅家うまやの五郷、同書高山寺本では駅家郷を欠き四郷であるが、どちらにしても養老令の基準では下郡である。郡家の所在地は村岡町耀山かかやまの近傍と考えられている。近くには金銅製頭椎大刀を副葬した終末期の文堂ぶんどう古墳(同町寺河内地内)があり、小規模ながら条里遺構がみられ、単独ながら白鳳期の軒丸瓦も出土している。また湯舟川を挟んで耀山の対岸に位置する高井の豊田たかいのとよた遺跡からは円面硯・墨書土器などが出土している。一帯は山陰道の官道に沿い、また金山きんざん峠を越えて但馬国府のあった現日高町域への道も通じていた。山陰道は養父郡から西進して当郡に入り、山前やまさき・射添の両駅を経由して春来はるき峠を越え二方郡に至ったと考えられる。養父郡から当郡への道筋については八井谷やいだに峠越・大野おおの峠越の二説があり、これに関連して山前駅の所在も関宮町小路頃おじころ説、同町葛畑かずらはた説、村岡町福岡ふくおか説の諸説がある。ところで山陰道の但馬諸駅の馬数は八疋であるが、山前駅のみ五疋となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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