七戸城跡(読み)しちのへじようあと

日本歴史地名大系 「七戸城跡」の解説

七戸城跡
しちのへじようあと

[現在地名]七戸町 町

七戸川の支流作田さくた川・和田わだ川の合流点付近、作田川の左岸の舌状台地の東先端部に位置する。東に七戸町の市街地が広がり、その南東を七戸川が流れる。平山城で、背後に奥羽山脈が控える要害の地である。別名柏葉かしわば城。国指定史跡。

創建の年代は明らかでないが、建武元年(一三三四)七月二九日付の北畠顕家国宣(遠野南部文書)によれば七戸のうち工藤右近将監の跡地が伊達行朝に宛行われている。工藤氏についての委細は不明であるが、同氏はこれ以前長い間当城に居館したものとみられる。翌二年七戸の地は南部師行の弟政長に与えられ、以後その子孫によって治められるところとなった。同五年以降政長は根城南部氏を相続し、代々(現八戸市)に居住したため、当城は根城城主の兼任であったであろう。のち根城南部氏八代政光は兄信光の子長経に家を譲り、七戸に退隠して七戸家の祖となったといわれる(「八戸家伝記」南部家文書)。一説によれば南部光行の子朝清が七戸に封され、当城を創建したともいうが、確かな記録はない。政長以降工藤氏の居館に改修が加えられ、しだいに中世的城郭としての体裁が整えられていったとみるべきであろう。政光以後当城は代々その子孫の居館とされたが、康正二年(一四五六)下北の蠣崎蔵人の乱、文明一五年(一四八三)三戸南部家の御家騒動に際し、各々落城している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「七戸城跡」の解説

しちのへじょうあと【七戸城跡】


青森県上北郡七戸町七戸にある七戸南部氏の中世の城跡。柏葉(かしわば)城とも呼ばれる。作田川と和田川が合流するあたりの洪積台地の先端にある。根城(ねじょう)南部師行(もろゆき)の弟政長が七戸の所領を得て入城し、南北朝時代には八戸の根城とともに南朝方の重要な軍事拠点であり、南北統一後も七戸南部氏の居城となった。作田川と和田川を天然の外堀として利用し、舌状台地を利用した平山城である。1591年(天正19)、城主の七戸家国は九戸政実一揆に加担して滅び、その翌年廃城されたが、以降も七戸城の名前は残り、三戸南部氏が在城した。1869年(明治2)に七戸藩が創設され、藩庁庁舎となった。本丸、二の丸、北館、下館、宝泉館、西館、角館の7つが遺構として残る。それぞれの郭(くるわ)が独立した並列連郭式で、一つ一つが空堀水堀、土塁などで独立し、帯郭、虎口、武者隠しなども配置されている。1941年(昭和16)に国の史跡として指定されている。本丸、二の丸間の堀跡が1996年(平成8)に確認され、北館曲輪からは中世期の御主殿跡、宝物殿なども発見され、2000年(平成12)に追加指定された。現在、城跡の一部は柏葉公園になり、城門は、七戸城唯一の建築物の遺構として青岩寺に移築されている。JR東北新幹線七戸十和田駅から十和田観光電鉄バス「七戸案内所」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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