一本木新田村(読み)いつぽんぎしんでんむら

日本歴史地名大系 「一本木新田村」の解説

一本木新田村
いつぽんぎしんでんむら

[現在地名]妙高高原町赤倉あかくら

北国街道から二俣ふたまた村で西に分かれ、約一里半の妙高山東麓にある。文化一三年(一八一六)高田藩主榊原政令鷹狩の休息地として、藩営事業で北地獄きたじごく谷から引湯し、一本木新田として温泉を開いたのが始まりという。政令はまた山間の荒蕪地に馬鈴薯の栽培を奨励し、優秀な澱粉の製法を教えた。これが後年当温泉の名物となり、新潟・江戸まで販路が開けた。幕末の旧高旧領取調帳に一本木新田村として高五石が記される。一本木新田から赤倉への名称変更は大正一二年(一九二三)である。

赤倉山・妙高山中に温泉が湧出していることは古くから知られていた。しかし当地は古来から関山せきやま三社大権現(現妙高村)の支配下にあり、修験霊場であったため、霊域地獄谷の湯の一般人による利用は許されなかった。近世後期になり、農村が疲弊するにつれ、関山権現別当宝蔵ほうぞう院も経済的に苦しくなった。

一本木新田村
いつぽんぎしんでんむら

[現在地名]茅野市米沢よねざわ 北大塩きたおおしお

北大塩村東部、西はかみ川の支流北山きたやま川、東はよきとぎさわ川に挟まれた所にある。北大塩村を親村とする新田村で、「諏訪郡諸村旧蹟年代記」に「承応元年一本木新田(草分)神林岩次郎又兵衛」とある。

元禄一五年(一七〇二)の信濃国郷帳には高六・八四一石とあり、天保五年(一八三四)の信濃国郷帳には二三・八五七石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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