一戸直蔵(読み)いちのへ・なおぞう

朝日日本歴史人物事典 「一戸直蔵」の解説

一戸直蔵

没年:大正9.11.27(1920)
生年明治10(1877)
明治大正時代天文学者,科学啓蒙家。青森県に生まれ,父親の反対を押し切って家出して第二高等学校に入学,東京帝大理科大学天文学科を明治36(1903)年に卒業,東京天文台に入る。38年から2年間私費でアメリカのヤーキス天文台留学し,変光星観測にしたがう。帰国後東京帝大講師となり,雑誌『天文月報』の編集を始める。当時麻布の東京天文台の観測条件が悪化したので,移転の議が起こり,一戸は三鷹移転案に反対して,もっと条件のよい赤城山へ,さらに台湾の新高山の頂上ダイナマイトで爆破して天文台を据える案を抱き,実地に調査旅行している間に,意見の合わなかった寺尾寿台長に免職にされた。以後野に下って科学啓蒙誌『現代之科学』を創刊し,科学啓蒙の筆を執り,また日本のアカデミズム批判の論陣を張った。しかし,経営する雑誌の経営難と過労が高じて,44歳で「人生の最後とはコンナものだ」という言葉を残して病没する。

(中山茂)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一戸直蔵」の解説

一戸直蔵 いちのへ-なおぞう

1877-1920 明治-大正時代の天文学者。
明治10年生まれ。母校東京帝大付置の東京天文台にはいり,明治38年アメリカのヤーキス天文台に留学,帰国後同大講師となる。東京天文台の麻布から三鷹への移転に反対して赤城山頂設置を主張し,寺尾寿(ひさし)台長と衝突して辞職。大正2年「現代之科学」誌を創刊し,科学の啓蒙(けいもう)につとめた。大正9年11月27日死去。44歳。青森県出身。

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