ラッセルスジロフスキー(英語表記)Nikolai Konstantinovich Russel'-Sudzilovskii

改訂新版 世界大百科事典 「ラッセルスジロフスキー」の意味・わかりやすい解説

ラッセル・スジロフスキー
Nikolai Konstantinovich Russel'-Sudzilovskii
生没年:1850-1930

日本に来たロシアのナロードニキ革命家。白ロシアのモギリョフ貴族の子。〈人民の中へ〉運動に参加し,逮捕を逃れて1874年秋に亡命した。ルーマニアで医師の資格をとり,ブルガリア民族主義者を助け,ルーマニア社会主義運動の誕生に立ち会った。81年逮捕されて国外追放になり,東ルーメリアを経て,87年第2の妻レオカジアとともにアメリカへ渡った。92年からハワイに移り,ハワイがアメリカに併合されたのちの最初の準州上院議員選挙に出て当選,上院議長をつとめた。日露戦争が始まると,日本抑留ロシア人捕虜への革命工作をめざし,ジョージ・ケナンと組んで1905年5月末日本へ赴いた。その工作は大きな影響をもった。戦後長崎に住み,エス・エル系の革命新聞《ボーリャ》の創刊を助けた。10年フィリピンへ去ったが,15年また来日し,20年には日本人妻と3人の子どもを連れて中国の天津へ移住した。中国時代にソビエト政府と和解し,年金を受けるようになったが,ついに帰国しなかった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android