マルヌ会戦(読み)マルヌかいせん

百科事典マイペディア 「マルヌ会戦」の意味・わかりやすい解説

マルヌ会戦【マルヌかいせん】

第1次世界大戦中,パリ東方のマルヌMarne川河畔で行われた会戦。(1)大戦初期の1914年9月,ジョッフル指揮のフランス軍がドイツ軍の侵入を撃退した。このためドイツのシュリーフェン・プランは失敗し,戦線膠着(こうちゃく)。(2)大戦末期の1918年7月,フォッシュ指揮のフランス軍がドイツ軍の最後の総反撃を撃退した。ドイツの敗北は決定的となった。
→関連項目モルトケ

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世界大百科事典(旧版)内のマルヌ会戦の言及

【第1次世界大戦】より

… 一方,サムソノフAleksandr V.Samsonov(1859‐1914)とレンネンカンプPavel K.Rennenkampf(1854‐1918)両将軍の率いるロシア軍の動員は迅速で,そのため参謀総長モルトケはP.vonヒンデンブルクとE.ルーデンドルフを急きょ起用,1914年8月23日から9日間にわたって東プロイセンのタンネンベルクで会戦し,ドイツ軍はロシア軍を包囲殲滅(せんめつ)することに成功した。けれども,タンネンベルクの戦闘のため,西部戦線の重要な右翼に配置されていた師団の一部を東部戦線に移すというように,シュリーフェン計画に変更を加えたことがその後の戦局の全体に深刻な影響を及ぼすことになり,早速9月5日から約1週間にわたって戦われた西部戦線でのマルヌ会戦では,ドイツ軍はジョッフルJoseph J.C.Joffre(1852‐1931)の率いるフランス軍の反撃を受け敗退した。そこでドイツ軍はマルヌ川よりも数十km手前のエーヌ河畔で陣容を立て直したが,しかしマルヌの敗戦は,西部戦線第一主義と短期即決の思想にもとづくシュリーフェン計画の完全な頓挫を意味するものであった。…

※「マルヌ会戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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