日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
フィッシャー(ドイツの彫刻家の一族)
ふぃっしゃー
Vischer
ドイツの彫刻(青銅鋳造)家の一族。15世紀後半から16世紀前半にかけてニュルンベルクで活躍し、その有力メンバーは3世代にわたっている。
(1)ヘルマン Hermann V. der Ä.(1429ころ―88)フィッシャー家の開祖。1453年ニュルンベルクに鋳造所をつくる。後期ゴシック様式によるウィッテンベルク市聖堂の洗礼盤(1457)のほかいくつかの墓碑が現存する。
(2)ペーター Peter V. der Ä.(1460ころ―1529)ヘルマンの子。フィッシャー家の代表的存在で、クラフト、シュトスと並ぶ当代の重要な彫刻家。1487年工房を継ぐ。1488年聖セバルドゥス教会の聖遺物入れを受注、この仕事は1507年から1519年にかけて息子たちと共同で完成された。この間バンベルク、マクデブルク、ブレスラウ、ポーゼンに多くの墓碑を制作する。
1512年アウクスブルクの聖アンネン教会礼拝堂の格子細工(完成せず)、同年皇帝マクシミリアンからインスブルックの墓碑のためにアーサー王とテオドリクス王の等身大の像を注文され、1513年に完成。彼の力強い作風はドイツのルネサンスに開拓者的な影響力をもつが、その好作例に通称「枝を折る人」(1490。ミュンヘン、バイエルン国立美術館)の小像がある。彼には5人の息子があり、それぞれ彫像制作に関与したが、次の3人が知られる。
(3)ヘルマン2世 Hermann V. der J.(1486ころ―1517)父の助手として働き、1515年イタリアに留学したが、若くして世を去った。
(4)ペーター2世 Peter V. der J.(1487―1528)パドバに滞在して彫刻家のリッチョAndrea Riccio(1470―1532)の影響を受けたと推定される。ウィッテンベルクのフリードリヒ賢明王の墓の制作によって、1527年真鍮(しんちゅう)鋳造のマイスターとなる。代表作はニュルンベルクの聖セバルドゥスの墓(1507~19)。
(5)ハンス Hans V.(1489ころ―1550)1530年に父の工房を受け継ぎ、盛期ルネサンス様式で制作した。
[野村太郎]